子供の頃、ドラクエ5をクリアしたとき、不思議な気持ちになりました。
ゲームを終えたのに、祈っていました。
主人公の、これからの幸せを。
あの感覚はずっと忘れられません。RPGをクリアして「主人公のその後が幸せであってほしい」と願ったのは、後にも先にもドラクエ5だけです。
なぜそんな気持ちになったのか、ずっと考えていました。最近になってようやくわかった気がします。
あれは「ゲームをクリアした達成感」じゃありませんでした。「長い旅を終えた人間の、静かな祈り」だったんだと思います。
幼少期という原点
物語は少年時代から始まります。
主人公は幼い。父パパスに連れられて旅をしています。なぜ旅をしているのか、子供の自分にはよくわかりません。でも楽しかった。裕福ではない。目的もよくわかりません。それでも旅は楽しかった。
——そういえば、子供の頃ってそういうものじゃなかったでしょうか。
理由なんてわからなくても、一緒にいる人がいれば楽しかった。ドラクエ5の幼少期は、プレイヤーに「子供としての記憶」を植えつけます。それが後のすべてを変えます。

父の旅を引き継ぐとき
やがて父は逝きます。
そしてプレイヤーは知ります。父が何のために旅をしていたかを。父には、果たせなかった願いがありました。
あの楽しかった旅には、意味がありました。
気づいたとき、何かが変わります。「守られていた子供」が「旅を引き継ぐ者」になる瞬間。自分が旅する理由が、できます。
花嫁という選択
長じてから、花嫁を選びます。
ところがこの選択、純粋な恋愛の話じゃありません。
主人公には果たすべき旅の目的があります。そしてその目的を達成するためには、仮に幼馴染に運命を感じていたとしても、有力者の娘と結ばれなければ旅は前に進めません——そういう現実があります。
感情と使命の間で、花嫁を選びます。
幸いにも問題は解決します。でも相手を選ぶまで、それはわかりません。プレイヤーはその確証のないまま、決断します。
だから重い。だからリアルです。
人生だって、選ぶ瞬間に正解はわかりません。それでも選ばなければなりません。

石にされた数年間
そして、あのシーン。
主人公と花嫁が、石にされます。
動けない。何もできない。ただ、時間だけが過ぎていきます。
ゲームで「失われた時間」を描いた作品はほとんどありません。あの数年間の重さを石の冷たさで表現したドラクエ5の演出は、今でも胸に刺さります。
父になる
石から解放され、自分に子どもがいることを知ります。
自分が父になっていました。
子どもたちと旅をします。かつて父に連れられた自分と同じように、今度は自分が連れていく側になっています。あの幼少期の記憶が、ここで重なります。
「父と旅した楽しさ」を、今度は子どもに与えています。ゲームの中の話なのに、胸に来るものがありました。

三世代での悲願達成
そして、ラスボスを倒します。
父の夢を引き継ぎ、自分の旅の目的となり、子どもたちと共に達成しました。
これはもう「ゲームをクリアした」という感覚じゃありません。「長い旅が終わった」という感覚です。
だから、祈りました
だからクリア後、祈りました。
主人公のこれからが、幸せでありますように。あれほど過酷な旅を歩んできた人間が、これからは穏やかでありますように。
ゲームのキャラクターに、そう思いました。それは「もう一つの人生」を体験した人間にしか生まれない感情だと思います。
SFCからスマホ版まで、DQ5を何度プレイしても、毎回この感覚があります。
それが答えだと思っています。
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